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河は巡り、歴史も巡る the river goes around and the history also [スポーツ、ヘルス]

8月26日

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只見から戻り、今日はこれでお終いにしたいところですが今晩松浜のお寺でヨガ教室があるんで、畑で野菜を採ってから急いでそっちに向かいます。
畑は草ボウボウこっちの草刈りも早くしたいけど時間が無い!(左)
とりあえず、松浜で今日明日食べるくらいの野菜だけを採って出かけます。(右)

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阿賀野川右岸を下ります。(上)
昨日今日は只見川、伊南川と阿賀野川源流域近くをうろついていました。只見川が阿賀川となり新潟県に入り阿賀野川になって水量を増し、ここは新潟市に入ったばかりの辺りです。ここからさらに下り私の町・松浜で日本海にそそぎます。その頃には川幅1kmほどになっています。
土手道をどんどん海へと下ります。(下)

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ヨガ教室のあるお寺は戊辰戦争の石碑がある急坂の麓にあります。(右下)
石碑には慶応4年7月25日庄内藩重臣(中老)の石原倉右衛門がここで長州兵と遭遇して殺害されたとあります。新潟の町で武器弾薬購入の契約を終えて庄内藩に戻る道中での出来事です。この石原倉右衛門は慶応3年年末江戸の薩摩藩邸焼き討ちの実行を主導した人物で、西郷隆盛の挑発にのせられてこの事件は起きました。事件の影響は翌慶応4年1月に起こる鳥羽伏見の戦いに始まる戊辰戦争へと続きます。
また、西郷隆盛は慶応4年8月11日から松浜に1ヵ月ほど滞在しました。石原殺害から半月後のことです。西郷隆盛の書が私の松浜の同級生の家に昔あったということを最近聞きました。弟西郷吉二郎が三条の五十嵐川田島曲渕の戦いで傷つき死に至ったことを松浜で隆盛は聞きました。
松浜で庄内藩士石原が殺害されたり、西郷隆盛が松浜に来た頃河井継之助はどうだったかというと、八丁沖の戦いや長岡城再落城、八十里越え、只見で死亡といった具合だったわけです。
慶応4年 = 明治元年は私の身近にもいろんなことがあったくらいですから、大変な年だったんですね。

私との関わりでいうと、この石碑のある急坂(左下)は母が街で買い物をした帰り、上りを難儀して荷物を運んだ所です。荷物があるとこの坂がキツいと言ってました。
また、小学校3~4年の頃この石碑の下にある曲がり角を右に曲がったらお婆さんがこっちに向けて立ちションしてたんです。こっちは坂を上り、お婆さんは少し高い位置に踏ん張り、眼前真正面で遭遇してショックを受けました。小便がかかりそうな距離でしたので、その衝撃は計り知れないものがあります。今より急勾配で曲がりも急角度でした。長州兵と石原倉右衛門がここで遭遇するのも無理ないかなと妙に納得してしまいます。

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松浜本町の商店街です。2つの遭遇事件が起きた石碑から7~80mほど下った辺りです。今はシャッター街化してますが、松浜のメインストリートです。正面夕暮れの辺りに阿賀野川の土手が小さく見えます。阿賀野川も後1kmほどで海にそそぎ尾瀬からの長い旅路を終えます。
水の流れも時の流れもいろんな因縁でまわりまわっているような!

この後、お寺ヨガのレッスンを小1時間ほど受け、家に帰り只見の米焼酎・「ねっか」をやりながら遅い晩飯をとりました。




 





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コメント 3

夏炉冬扇

画像鮮明。
歴史が一杯。
by 夏炉冬扇 (2019-08-30 17:10) 

JUNKO

いい環境ですね。お寺でヨガとは羨ましいです。
by JUNKO (2019-08-30 17:31) 

モリガメ

慶応4年は大変な年だったのでしょう。

お寺ヨガはいいですよ。
by モリガメ (2019-08-30 21:32) 

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